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リテラシーラボラトリ

リテラシーを考える

どうしたら子どものネットリテラシーは高められるだろうか

個人的な人生の課題として、「インターネットリテラシーをいかにして高めることができるか」がある。インターネットに触れることが当たり前となり、接触時間が増加する今、インターネットリテラシーの必要性は高まる一方である。しかしその向上について、明確な対策はない。どこも試行錯誤がなされている状況だ。

http://www.flickr.com/photos/72746018@N00/2738451853
photo by dalbera


そのインターネットリテラシー向上において、とても参考になる記事を読んだ。iPadを子どもたちに提供している「千葉県立袖ヶ浦高等学校 情報コミュニケーション科」だ。以下の記事にその試行錯誤が書かれている。苦闘したからこそ出る、貴重な言葉ばかりだ。

中でも印象に残ったのは以下の部分。生徒たちに渡したiPadにアプリのインストール制限をしているのか、という問いに対して、こう回答している。

アプリに関しては、学校によってはインストール制限をしているところもあります。それも一つの方法だと思いますが、私たちは制限は設けていません。ネット上の有害情報のフィルタリングくらいはしていますが、その程度です。

 インストール制限をすると、自分でいろいろなアプリを見つけてきて「こんな便利なものがある」「こんな使い方ができる」ということができなくなります。その可能性を捨てたくありませんでした。それに、iPadでゲームをできないようにしても、スマートフォンで遊んでしまえば同じことですしね。

ここはとても大事なところだなと思った。




トラブルがリテラシーを養う

ネットリテラシー教育の現場において、「インターネットを正しく使う」という言葉にのっとり、「悪いものには触れさせない」という方向に動きがちだ。悪いものという定義の曖昧さゆえに、厳しい制限がかけてしまう。とにかくアプリはインストールしちゃダメよと。そうすればたしかにトラブルは起きない。トラブルのリスクを最小限にするという観点では正しいように見えるが、それがリテラシーを高めるのかというとそうではない。むしろトラブルを通して身につけていくものだ。

自身を振り返ると、ダイヤルQ2にひっかかって高額請求を受けヒヤヒヤさせられたり、やたらポップアウトが出る謎のソフトウェアをダウンロードしたりとした中で、「こういうものが危ないのだな」「これは大丈夫だろうか」という感覚を身につけていったと思う。今でも未熟でブックマークコメントなどでご指摘いただくことがあるが、そういった”痛み”を通じて知っていくものだ。子どもの時にトラブルを通らなない場合、大人になってぶつかるわけである。それでは遅い。そうではなく、小さな時にトラブルを知り、危険を避けることで、活用領域が広まり、自分の人生にインターネットを役立たせることができる。

だからこそインストール制限をするのではなく、ある程度自由にインストールさせた上で考えること。それがリテラシーを養う。というか、制限をすればするほど、そういう悪いものに近寄りたくなるものだ。それが人間の心理だろう。もちろん重大なトラブルに巻き込まれないための制限は必要だが、過剰になってはいけない。ならば最初から制限は最低限のものにするというのは、大変重要な割り切りだと思う。

総務省の調査でも以下のようなデータがある。インターネットリテラシーの調査結果だ。

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現在のトラブルを回避するのと目的にするのではなく、現在の小さなトラブルを通じて、将来のリスク回避を目的としたいところだ。

トラブルについて語り合える場はあるか

むやみに監視をしてリスクを最小限にしても、その監視の目が外れた先でトラブルが起きてしまっては、対処のしようがない。むやみに止めることではなく、トラブルに遭遇しても対応できるような環境を用意してあげる。監視下にいる若い時期にトラブルに合うほうが、そういう意味でよっぽど安全だ。そのためにも大事なこととして、使い方やトラブルについて話し合いの場があるかどうかがカギではないか。

先ほどの総務省の資料にも以下のアンケートがあった。

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どういったものがトラブルになりうるかという事前対策、トラブルが起きたときの原因究明、解決するための対策提示など。こういう話し合いができるかが大事だ。しかしこれも口でいうほど、簡単ではない。話し相手の教師や両親にもネットリテラシーが求められる。

そうすると、対子どもへのネットリテラシー教育も急務だが、それと同じ位、いやそれ以上に教育者への啓蒙も重要である。

まとめ:語る大人たちにこそ求められるネットリテラシーと寛容さ

親や教師のネットリテラシーは果たしてあるのか、というと疑わしい。袖ヶ浦高等学校の例は稀有ではないか。通常業務もしつつ、インターネットの最新事情にも明るい人がどれくらいあるだろうか。また「情報」の先生が全生徒のSNS事情まで踏み込めているのだろうか。

ネットリテラシーの知識や経験もそうだが、相手をするのはデジタルネイティブである。彼らのスマホの活用っぷりを学ぶ「謙虚さ」もまた求められる。一層ネットリテラシー教育の難易度は増す。ネットリテラシー教育者への教育も十分になされているだろうか。

この辺は、先生次第といってしまえばそれまでだ。それでは教育格差は解決されない。インターネットリテラシー教育の支援が重要と感じる次第である。

偉そうに語れる人間ではないので、もちろん自身のネットリテラシーも磨いていく。しかし他の大人たちともネットリテラシーを向上するための施策は何か。インターネットに関わる人間として何ができるか、引き続き考えていきたい。

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