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リテラシーラボラトリ

リテラシーを考える

インターネットの難しさと、その3つの前提について

インターネットって難しすぎやしないか。

最近よく思う。もちろんあなたではなく、ネットに触れてこなかった人にとってだ。

 その証明の一つとして、自分の祖父母いや両親に、いま自分が見ているインターネットの使い方はもちろん、その面白さを伝えることができるだろうか?

使い方の説明をしたことはあるかと思う。このアプリ便利だよ、とか、こうやってメールするんだよとか。しかし、続けてられているものがどれくらいあるだろう?ない、とは言わないが、ほとんどない。「私には難しいから。。」と途中で辞めてしまうのだ。使い方の分かりにくさ、もあるし、面白さを伝える難しさもある。

そして年代が違う人だけでなく、歳の近い友人にすら難しいと感じている人がいるのである。Facebookがよく分からず、使ったことのない人もいたし、LINEの登録の仕方が分からない人もいる。またこよなくガラケーを愛し、スマホに移行しない人もあった。

 それが悪い、という話ではもちろんないが、難しいと感じさせてしまっているのは、インターネット側に問題がある。それを強く受け止めなければならない。

 インターネットには、大きく3つの前提があると思う。僕らが”当たり前”と受け止めていることだけれど、これが初心者を近づけさせない障害だ。以下である。

  • 検索できる前提
  • 文脈分かってる前提
  • 間違ってる前提




インターネットを使いこなす3つの前提

「検索できる前提」

 これどういうことだ?思った瞬間、ぼくらはChromeの検索バーに文字入力をしている。しかし、これって改めて考えると、初心者の人にとっては奇っ怪なことに映る。普通の世界であれば分からなければ人に聞く。それがインターネットではGoogleやYahooに聞かなければならない。人相手であれば、状況を理解してくれる。相手の様子を見て、きっとこういうことが聞きたいのだろうと考えて、その答えをくれる。

 しかしインターネットでは、そんなことはない。自分でほしい情報をゲットするために、適切なキーワードを検索ボックスに入れなければならない。何のキーワードを入れれば、自分の欲しい情報が得られるか。それを知らないと検索ができない。人に聞くことに慣れた人には便利なようであまりやさしくないことだ。

 それだけでも大変高度なことだが、検索結果から欲しい情報を得るのも非常に難しい。検索結果に表れるのは一つの解ではない。1ページに10件とならぶ、検索の結果ページである。その中から自分で情報を探さなければいけないのである。欲しい情報を検索するだけで一苦労なのだ。

「間違ってる前提」

 検索結果から、何が正しくて何が間違っている情報なのかを探すわけだが、インターネットは玉石混交である。そして玉の割合というのは極めて少ない。しかも、サイト単位で玉石が分かれているのであれば単純だが、記事単位で正誤が別れる。いや、記事の中でも正しい部分と間違っている部分が混在している。それを正しく読み取らなければならないのだ。

 そして間違っていることが大多数のインターネットにおいて、情報の鵜呑みほど危険なことはない。ゆえにインターネットに多く触れている人ほど、情報は間違っているものと食って掛かってインターネットを見るのだ。そうして情報を取捨選択した上で、自分の頭のなかで回答を統合させる。この一連の流れは容易ではない。

「嘘を嘘と見抜けないと難しい」という某管理人の言葉がつきつけられる。

「文脈分かってる前提」

 そしてコミュニティ系のサービスにおいてよく見るのが、文脈による障壁だ。そのコミュニティの界隈で生まれた話題や言葉を前提として、コミュニケーションが成り立っている。それ故に面白いわけだが、新しく入ってきた人にとってはどうだろうか。その文脈を理解できないと、面白さが分からないものが大多数だ。そのコミュニティに入るには、文脈を理解するための学習が必要なのだ。それを習得できない限り、疎外感は捨てられない。新参者を拒むのだ。

 この点はリアルでのコミュニケーションとも似ている。クラスに溶け込めないのは、そのクラスの文脈が理解できず、空気を読めないことだ。検索して調べれば分かるという意味ではインターネットの方がハードルは低いが、検索出来ない人にとっては酷な話だ。そうして難しさのスパイラルにはまって、辞めてしまうのだ。

まとめ:分かりやすいインターネットを

 そこまで求めるのか、という話はあるけれども、インターネットの醍醐味というのは上記の前提を乗り越えた先にある。貴重な情報源、または世界の人とつながれるコミュニティがそこには広がっている。しかし、現状でそこに辿り着けるひとは実は少数なのではないだろうか。

 インターネットとばかり見ていたら出会えないが、こういった人たちが多いことを強く意識すべきだ。息をするようにインターネットをしてきた「ぼくら」にとっての”当たり前”は、「かれら」にとって、”当たり前”ではないのだ。

 これからの時代、テレビもインターネットと同化してくる。メガネもインターネットデバイスになる。あらゆるディスプレイがPCになる。誰しもがインターネットと避けられなくなる時代だ。そうすると今までインターネットに距離を置いてきた多くの人が、インターネットに雪崩れ込んでくる。インターネット難民である。そのインターネット難民を受け入れる準備はできているか。

 インターネットはこれまで能動性を重視する特性がある。自ら求めない限り、インターネットと”ともだち”にはなれない。これまでテレビという受動的なメディアに慣れ過ぎた人にとって、インターネットと接するのは億劫なのだ。

 彼らにインターネットに近づいてもらう努力が必要だが、それ以上にインターネット側が彼らに近づいていく必要がある。そこに大きな利用者拡大の機会と、ビジネスチャンスがある。これからは一層”分かりやすい”インターネットサービスが求められる。そういうものを考えなければならない。そう思った。自戒を込めて。

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