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リテラシーラボラトリ

リテラシーを考える

自己啓発本やライフハックに代わる何かを考えたい

人生を変えたい。

変わりたいというのは人間誰しもが思う根源的な欲求である。場所も時代も超えた普遍的なニーズである。もちろん悪い方向ではなく、良い方向への変化である。不満な生活から、満足のいく生活へ。

しかし、その誰もがもつ想いに対して、叶えることがどれだけ難しいかは、”変わってない現実”を見れば明白である。人生を変えると銘打った書籍や、断言する人に出会ったところで、どれだけの人が本当に変わっただろうか。もちろん変わった人も多くいる。しかし変わらず嘆き苦しむ人は掃いて捨てるほどいる。

この問題はとても根深く、解決したいテーマだと思う人が多くいる。しかし、何も解決してはいないのが現状だ。

※真面目な記事です

自己啓発本やライフハックの問題

その誰もがもつ根源的なニーズに対して答えようとするのが、本屋に平積みされる自己啓発本であり、各種メディアやブログが大量に出しているライフハック系の記事である。その売上規模やPVの大きさを見るに、人生を変えたいニーズの一端を見ることができる。

その大量消費っぷりを見ると、あたかもニーズを満たしているかのように思える。しかし、消費しても求められるその様はそれが全く功を奏していないことの表れでもある。解決できていないのだ。

「触れて満足」「読んで終了」

行動にまったくつながっていない。ゆえに理想だけが変化して、現実は一切変わらない。そして変わらぬ結果に驚いて、新たな刺激を求めている。それの繰り返しだ。これを悲劇と言わずに何と言う。


この現象を見て、自己啓発本やライフハック記事を否定する人は多くいる。自己満足であり、自慰行為でしかないと。ある人はキャリアポルノと称した。そして、書を捨てよ。人と会え、行動せよ。そう叫ぶ。うん、それもまた一理ある。

流される弱き人はどうしろと?

しかし、そういう風潮が強いが、そんな単純な話でもないように思う。自分や自分の周りでは解決できるのかもしれない。

しかし、行動したくてもできない人が多くいることを知るべきだ。何とかしたいと思いながらも、行動できない。それは流されている人であり、悪環境に身を置く人である。

極端なものを出せば、悪友にそそのかされ、薬物に手を出す男。悪い男にひっかかり、DV沙汰に会う女。もっと卑近な例を出せば、何をしていても、あるソーシャルゲームのことしか考えられない。狂ったようにお金を使い、時間を使い、現実に戻れない人だ。

そんな重度な人なら明白だが、それは氷山の一角の少数派だ。顕在化されていない、それよりも軽度な大多数の人たちこそ、問題だと思う。現実に支障をきたさない程度に、何かに依存する人。これが圧倒的に多くいるのではないか。彼らこそ行動したくても行動できない人たちだと思う。

彼らは基本的に忙しい。何に忙しいか。それは依存しているものに忙しい。何もしていないと不安になる。その後無意識にしているものが依存対象である。当然誰しも依存するものはある。問題はメリハリをつけられるかである。切り替えが上手くいっている人は何も問題はない。しかし、それが出来ずズブズブと時間を浪費する人がこの世に溢れている。

本当にやらねばならないものを知りながら、それができない。いつの間にやら、全く別のことをしている。現実逃避である。

恐ろしいのは今の時代、現実逃避が無限にできるのだ。娯楽にあふれ、情報に満ちている現代、僕らはどこまでも辛い現実から逃げられる。ポケットのスマホを使えば、バッテリーが持つ限り、遊ぶことができるだろう。しかも目の前に相手がいなくてもできる。いつでもどこでも現実逃避ができるのだ!

特にネットは最たる現実逃避の手段だ。一つのものに依存するのではなく、ある時はニコ動、Youtube、はてブ、Twitter、Facebook、ブログ、艦これ、アイマス、ラグナロクオンライン・・・。気がつけば、流される。タブを閉じたかと思えば、また開いてる。ログアウトした瞬間、なぜかログインしている。

そうして行動は始まらず、成長は停滞する。いや、後退していく。そしてその現実に焦り、”刺激”を求め、そういう類の情報を求めるのだ。自己啓発本やライフハック情報もまた依存対象のひとつなのだ。

そんな人に行動せよ、と言っても、突き放しているだけであり、解決にはなっていない。何をどんな風に行動すればいいのか。それもまた考えよというのは無責任以外の何物でもない。

最後に:内容を根本的に見つめなおす必要がある

色々語ってはいるが、自分もまた流される弱い人間だ。変えたくてもそんなに変えられていない。理想ばっかり高い。しかし、変えたい、本当に。そして自分が強く思えば思うほど、同じように悩む人もまた多くいるのではないかと思った。

精神疾患や障害とまではいかない、というかそんな風に診断なんかされたくない。いわば不安定な健常者。超軽度な躁うつ病ともいえるだろうか。誰にも言うまでもないことだから抱え込み苦しんでいる人。これこそ現代の裏側にある大きな社会現象なのではないだろうかと。

自殺者やうつ病の問題も大きいが、アプローチせねばならないのは、そこまは至っていないが、やがてそうなる可能性が高い予備軍のまた予備軍。そんな人って、日本にどれだけいるのだろうかと。想像しても、一都市クラスになるだろう。

もし可能ならば、理想を求める人と理想の人とが会って、教えを請うことができれば一番いい。そして一時的ではなく、長期的にレクチャーを受けれること。これがベストだ。幸いにもそんな環境に出会えた人は最高だ。そのまま突き進めばいいかと思う。

しかしその環境にいない人はあがき苦しむ。自分が本当になりたいものも分からなければ、なりたいものになってる人も分からない。会いにいけもしないのだ。片っ端から色んな人に会いに行く勇気もない。

そうすると本やネットに手を出すしかないのだ。

僕はそれできっかけとしては十分だと思うのだ。問題は何に触れれば、本当の意味で次のステップに進めるかだ。行動を促すことができ、それを継続させ、習慣化できるか。そんなメディアが求められている。これを突き詰めて考えていきたいと思っている。大事な問題だからこそ。

安易に自己啓発本やライフハックをバカにするのではなく、次の形を考えようよ、と。自戒を込めて。

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